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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)10517号 判決

原告

睦美商事有限会社

右代表者代表取締役

井上雅雄

右訴訟代理人弁護士

惠崎和則

被告

中村愛

被告

中村敬

右両名訴訟代理人弁護士

斎藤勝

被告

斉藤勝正

右訴訟代理人弁護士

本橋光一郎

本橋美智子

主文

一  被告中村愛及び被告中村敬は各自原告に対し、金一六八万円及びこれに対する昭和五七年九月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告中村愛及び被告中村敬に対するその余の請求並びに被告斉藤勝正に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告と被告中村愛及び被告中村敬との間においては、全部被告中村愛及び被告中村敬の負担とし、原告と被告斉藤勝正との間においては、全部原告の負担とする。

四  この判決は原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五七年九月一〇日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(全被告)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

別紙のとおり。

二  請求原因に対する認否

(被告中村両名)

1 請求原因一項は認める。

2 同二項中、宏が中村医院の経営資金調達の目的で昭和五七年七月ころ本件手形を吉田に交付したことは認めるが、その余は争う。

3 同三項は不知。

4 同四項中、本件手形が不渡りとなつたことは認めるが、その余は不知。

5 同五項は否認する。

6 同六項は争う。

中村医院は、静岡県下田市西中一番地五で下田分院を営業していたが、昭和五七年一二月末、県から診療報酬の保険金不正請求を理由に保険医の指定を取消されたので、営業を継続することができなくなり、閉鎖した。

右保険金の不正請求は、当時下田分院にいた老齢の医師が、自ら請求書を書くのを放置していたので、事務員が書いたところ、診療内容は正しいにもかかわらず、推測で書いた部分があつたとして保険指定医取消処分に至つたもので、故意に不正請求がなされたものではない。不正請求の金額も約四〇〇万円であり、一般の例だと保険指定医の取消処分は行われないのに、下田市の地元で医院を増やしたくない医師会が、静岡県庁に圧力をかけたために取消処分が行われたのである。

保険医指定の取消処分が行われるまでは、下田分院では毎月五〇〇万円の売上げがあり、病院の増改築も計画しており、営業は順調であつた。中村医院には一億数千万円の債務はあつたが、大部分三光信用金庫に対する建物売買代金であり、他に医療器具のローン代金なので、債権者といつても協力業者で、中村医院が下田の土地・建物で経営を平常に続けて行く限り、今日・明日支払がなければすぐ差押・解除に至るような性質の債務ではなかつた。

従つて、中村医院は、保険指定医取消処分があるまでは、破産状態にあつたとはいえず、本件手形の支払も十分可能な状態であつた。

7 同七、八項は全て争う。

(被告斉藤勝正)

1 請求原因一項中被告中村愛(以下被告愛という。)及び被告中村敬(以下被告敬という。)が中村医院の理事であること及び被告斉藤勝正(以下被告斉藤という。)がかつて中村医院の理事であつたことは認めるが、被告斉藤が現在も中村医院の理事であるとの点は否認する。被告斉藤は中村医院の理事を昭和五七年一〇月二六日に辞任している。

2 同二、三、四項は不知。

3 同五項は否認する。

4 同六項は争う。

被告斉藤についての本件の事実関係は次のとおりである。

(一) 被告斉藤は、昭和四五年に東京医科大学を卒業(同年医師国家試験合格)し、同五一年に医学博士号を取得した医師であり、同五五年一月以降横浜市緑区所在の牧野記念病院に勤務し現に副院長職にある者である。

(二) 被告斉藤は昭和五三年、五四年ころ、東京医大医局関係者の紹介で荒川区東尾久所在の中村医院から依頼され、週に一、二回非常勤(いわゆるアルバイト)の診療をしていたことがあつた。

(三) 昭和五五年六月ころ、中村医院より新たに下田市に病院(下田分院)を建築するとの話があり、下田分院についての実際上の協力を求められたが、被告斉藤は、同年一月から牧野記念病院に勤務していたので、これを断つたが、中村医院から名目のみでよいから理事として病院開設に名を連らねてほしいとの要請があり、やむなくこれに応じた。当時、中村医院には、三宅秀郎医師という産婦人科の権威者が理事となつていた。

(四) 中村医院の運営は、理事長である被告愛、理事である被告敬、及び宏の中村親子がなしており(とくに理事長の長男たる宏が中心となつていた。)、いわゆる同族経営であつて、他の者は運営に関与していないものである。

(五) 被告斉藤は、中村医院の運営をしていた被告愛、被告敬、及び宏らの中村親子から業務内容の報告を受けたこともないし、下田分院に行つたこともなく、いわんや役員報酬を受けたことも一度もなく、中村医院の経営に影響を及ぼす地位にいなかつたものである。

(六) また、実際上も、被告斉藤は、中村医院の理事長である被告愛がどのような約束手形を振出すかについても知りうる立場にいなかつたものであり、本件の手形振出についても全く関知するところではなかつた。

(七) 仮に万一、被告斉藤がそれを知り得たとしても、理事長である被告愛や宏の行為を阻止するような影響力を行使しうるものでもなかつたのである。

(八) よつて、被告斉藤に、原告が主張するような過失があつたとは到底いえないし、また、被告斉藤の行為と原告の主張する損害との間には、相当因果関係を有しないものである。

(九) なお、その後、被告斉藤は、昭和五七年一〇月二〇日頃、下田医師会長よりの連絡で中村医院に保険金請求の不正があつたことを知り、直ちに同月二六日、中村医院に対し、内容証明郵便をもつて理事としての責を負い得ないので理事を辞任する旨通知している。

なお、一般法理としてであるが、法人理事の破産申立義務(民法七〇条)は、法人に対する関係の義務であり、その違反は、法人に対する義務違反になるものであり、それが当然に第三者に対する責任根拠となるものではないことは明らかである。もし原告の主張のとおりであるのならば、債務超過の法人については、法人が倒産した場合、理事個人が第三者に対し直接の責任を全て負うことになり、全く不当である。

5 同七項は争う。

医療法人については、商法、有限会社法のような取締役の第三者に対する法定責任の規定はなく、医療法人の理事は、民法の一般不法行為責任以外の責任は負わない。

6 同八項は争う。

原告が本件手形につき手形上の遡求権を行使していれば、原告には損害が発生しなかつたものである。

また、原告が本件手形を取得した原因関係は、株式会社日貿通商ないし垂井との間の手形割引(法的実質は、消費貸借と考えられる)であるが、その原因関係上の債権(貸金債権)が存続していることは明白である。従つて、この意味においても、損害が確定的に発生しているとの原告の主張には理由がない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一書証の成立についての判断は別紙のとおりである。

二宏が中村医院の経営資金調達の目的で昭和五七年七月ころ本件手形を吉田に交付したことは原告と被告中村両名との間では争いがなく、被告斉藤関係においても、〈証拠〉によりこれを認めることができる。

そして、〈証拠〉によれば、本件手形は、昭和五七年七月四日ころ、宏によつて、中村医院が株式会社三和銀行三河島支店との銀行取引に使用する印鑑として同支店に届け出た印鑑を使用して、理事長である被告愛名義で金額欄等白地のまま振出されたもので、その後、受取人欄には吉田が代表取締役となつている日貿通商の名が記入され、金額欄には二〇〇万円と記入されて、同月一二日ころ手形割引業者である原告のもとに持ち込まれ、原告は日貿通商(吉田)及び吉田を原告に紹介した垂井の裏書を受けたうえで、満期である同年九月一〇日までの二か月分の利息として三二万円(月八パーセントの割合による)を控除した一六八万円を吉田に交付し、本件手形を取得したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三本件手形が不渡りになつたことは、原告と被告中村両名との間では争いがなく、被告斉藤関係においても、〈証拠〉によりこれを認めることができる。

そして、〈証拠〉によれば、本件手形の不渡事由は「取引なし(停止処分済)」で、原告は原告主張のとおり、本件手形につき、中村医院を被告として手形訴訟を提起して勝訴判決を得たが、中村医院には財産がないため、本件手形の手形金の回収ができないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

四(本件手形振出時における中村医院の財産状態)

〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

1  中村医院は、被告愛の夫(被告敬及び宏の父)が中心になつて昭和四三年一月一八日に設立した医療法人で、最初は東京都荒川区尾久で病院(以下本院という。)を経営していたが、被告愛の夫が死亡し、中村医院に借金が残つたので、被告愛、被告敬及び宏の親子は、右借金を整理するため、本院を処分して下田市に分院(下田分院)を開設することとした。

2  そして、中村医院は、昭和五五年春ころ、三光信用金庫から病院の建替え資金名目で約一億一五〇〇万円を借入れ、下田市西中一番地五所在の三光信用金庫所有の建物を借地権とともに九〇〇〇万円で買い受け、昭和五六年六月ころから右建物で下田分院の診療を開始した。診療に使用する機械類は、本院にあつたもののほか、月賦で買つたものを使用した。

右建物の代金は毎月一〇〇万円の割賦で弁済する約束であり、代金が完済されたら所有権移転登記をする約束であつた。

3  下田分院の一か月の経費は五〇〇万円から六〇〇万円であり、これに対して一か月の売上げは、診療開始当初一〇万円単位で、五〇万円、七〇万円と増えて行き、診療開始から約一年たつてやつと五〇〇万円位になつたような状態であつたため、中村医院は、毎月多額の赤字を抱えることになり、昭和五六年秋ころには、三光信用金庫に対する一〇〇万円の割賦金の支払ができなくなり、三光信用金庫に対する借入金の返済も滞つた。

4  その後、本件手形が振出された昭和五七年七月四日ころまでには、中村医院の理事の一人であつた木村真三が宏の了解を得て融通手形として振出した中村医院の約束手形が不渡りとなつており、下田分院の診療報酬の保険金不正請求もなされるに至つていた。

5  中村医院は既に金融機関から融資を受けられるような状態ではなかつたので、宏は急場の経営資金を得るため、昭和五七年七月四日ころ、「顔が広く手形の割引ができる人」として知人から紹介された吉田に対し、同人の信用性を調査することなく、金額欄白地の本件手形を交付した。しかし、同月二八日ころには、木村真三の振出した中村医院の融通手形が二度目の不渡りとなり、中村医院は銀行取引停止処分となつた。

6  その後、昭和五七年八月か九月に下田分院の診療報酬の保険金不正請求について県の監査が行われ、同年一二月末、中村医院は県から右不正請求を理由に保険医の指定を取消され、下田分院は閉鎖された。

右閉鎖時における中村医院の負債は銀行関係に一億五〇〇〇万円位、その他の債権者に二〇〇〇万円位で、下田分院の建物の代金の大半は未払であり、月賦で購入した機械の代金も三分の二位は未払の状態であつた。

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

五(被告中村両名の責任)

〈証拠〉によれば、中村医院は、本院を経営しているころから、理事長である被告愛、その子で理事である被告敬、同じく被告愛の子で昭和五六年五月二三日までは理事、その後は監査役であつた宏の、親子三人が中心になつて運営していた医療法人であることが認められ、経営資金の借入や手形の振出など、具体的な経営が宏に任されていたとしても、被告中村両名は理事として中村医院の財産状態を認識しえたし、認識しなければならない立場にあつたものと認められる。

前記四で認定したところによれば、本件手形振出時における中村医院の財産状態は、積極財産はほとんどないにもかかわらず一億円を超す多額の負債を抱え、かつ経営資金も銀行借入等の正常な方法では調達できるめどが立たず、融通手形の不渡りも出しているうえ、診療報酬の不正請求にも監査の手が及ぼうという、極めて窮迫した状態であつたことは明らかで、このような状態を認識していれば、このような状態で本件手形を振出した場合、本件手形は不渡りとなることがほぼ確実であるから、本件手形の取得者は、本件手形の取得のために支出した金額相当の損害を被ることになるであろうことを容易に予測しえたものというべきである。

従つて、被告中村両名は、中村医院を共同で運営している理事として、宏が本件手形を振出すのを阻止し、本件手形の取得者の損害発生を防止すべき義務を有していたものというべきであるが、被告中村両名は右義務を怠り、宏が本件手形を振出すのを容認した過失がある。

従つて、被告中村両名に原告に対する関係で不法行為責任の根拠となるような破産申立義務違反があるか否かについて判断するまでもなく、被告中村両名は連帯して本件手形取得によつて原告に発生した損害を賠償する責任を負う。

なお、医療法に商法二六六条の三のような特別規定がない以上、被告中村両名の行為に対して商法二六六条の三が類推適用されると解することはできない。

六(被告斉藤の責任)

被告斉藤が少なくとも昭和五七年一〇月二六日まで中村医院の理事であつたことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、被告斉藤の請求原因に対する認否4(一)ないし(七)、及び(九)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右各事実、特に、被告斉藤が中村医院の理事になつたとき、中村医院には医師である三宅秀郎という理事がいたこと、被告斉藤は、本院でアルバイトをしていた関係で理事になつたが、右三宅医師に名を連ねるだけの名目的な理事にすぎず、中村医院の業務内容の報告を受けたこともないし、下田分院に行つたこともなく、役員報酬を受けたことも一度もないこと、被告斉藤は中村医院がどのような手形を振出すかについて知りうる立場になく、知りえたとしても被告愛や宏の行為を阻止するような影響力を有していなかつたこと、などの事実を考慮すれば、被告斉藤に宏の本件手形振出を阻止すべき義務があつたとは認めがたく、また、原告に対する関係で不法行為責任の根拠となるような具体的な破産申立義務があつたとも認めがたい。

また、被告斉藤の行為に対して商法二六六条の三が類推適用されると解することができないのは被告中村両名について述べたとおりであるが、仮に類推適用が認められるとしても、右各事実を考慮すれば、被告斉藤にその責任を認めることはできない。

従つて、原告の被告斉藤に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

七(損害)

前記のとおり、被告中村両名の不法行為責任は、不渡りとなるような本件手形の振出を阻止しなかつたことによるものであるから、原告の損害は本件手形を取得するために支出した金銭であり、右金銭支出と同時に確定的に損害が発生したものというべきである。

従つて、原告の損害額は、本件手形の手形金額二〇〇万円ではなく、原告が本件手形を取得するために吉田に交付した一六八万円と認めるのが相当である。

また、遅延損害金は商事法定利率年六分ではなく、民法所定の年五分の割合によるものとなり、原告はこの遅延損害金を、右一六八万円を支出した昭和五七年七月一二日の翌日以降求めることができる。

八(結論)

よつて、原告の本訴請求は、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告中村両名に対し、連帯して金一六八万円及びこれに対する昭和五七年九月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告中村両名に対するその余の請求及び被告斉藤に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官福田剛久)

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